農産物輸入ビジネスで起業ブログ

未経験者が農産物の輸入事業で起業した話です。

首狩り族とフィリピンの軽井沢(バギオ市・Baguio)1

はじめに

煽り気味なタイトルで、失礼いたします。

皆さんはフィリピンに、日本の軽井沢とも例えられる街があるのをご存じでしょうか?

アメリカ統治時代に開発された、バギオ(Baguio)市という標高1,500mの高地にある人口37万人の都市です。

このバギオ市ですが、日本ではあまり知られていない、興味深い歴史的エピソードや文化的情報が豊富にあります。 

今回は、市場調査を兼ねてバギオの友人を訪問してきた際の雑記を少々書かせていただきました。

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赤いピンで示されるバギオ市

バギオ市とは?

標高1,500メートルに位置する、バギオ市には熱帯の国フィリピンでは珍しい松の木が多く生えてシンボルともなっており、また同国最大の高原野菜の産地です。

近代以降の成り立ちと文化的背景

シカゴを設計した技術者としても知られるアメリカ人Daniel Burnham により1900年ごろに開発された避暑地です。

米国統治時代には、マニラの暑さから逃れて夏季の間(常夏ですが)、首都機能が移されていたためサマー・キャピタル(夏の首都)とも呼ばれている場所です。

計画的な都市開発により市街中央に池を配置された、大変美しい街です。

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マノール・ホテル(The Manor)入口

 

バギオ市のある北ルソンに広く居住する山岳部族は、イゴロット族と総称され、古くは首狩りの風習で知られています*。

*) 北ルソンとは広く、バギオ市のある場所に暮らしていた部族は平和的で、首狩りの風習もなかった旨、訂正いたします。

16世紀から300年続いたスペイン統治時代にも直接的な支配を受けなかったという勇猛な部族で、何度もこの地にスペイン軍が送り込まれたものの、首だけがかえって来たというエピソードもあります。。。

しかし、スペインの統治下に組み込まれた平地の部族は、山岳民の住む高地に侵攻と撃退してきたことから、平地の民と山岳民の間では感情的なしこりは今も残っています。

当地出身の友人によると、『ここで買い物をするときに公用語のタガログ語を話すぐらいなら、英語で話した方が地元民にぼったくられない』というほど、部族間のわだかまりは大きいとのこと。

なお、現在もこの地の子供たちは、長じるにつれて(1)家族と話す部族語、(2)学校で使うイロカノ語と(3)タガログ語、(4)仕事で使う公用語としての英語と、なんと4言語を操るマルチリンガルになるとか。 

日本とバギオ

日本との関係でいえば、戦前にはマニラとつながる道路建設に仕事を求めてバギオに入植していた邦人も多く、また、太平洋戦争におけるマニラ市街地戦敗退後、山下将軍率いる日本軍が撤退してきたのもまたバギオでした。

敗戦の色濃く、補給路を断たれ山岳地に追い込まれた日本兵は、生き延びるために、当ブログでは描写できないような残虐行為に及んだ、という今も現地では語り継がれるエピソードもあります。

マニラからのアクセス 

マニラからは、高速バスで5時間でバギオに到着します。

私は、今回ビクトリアライナー社(Vitoria Liner社)を使わせていただきました。

早朝から深夜まで、ほかにも市内複数個所のターミナルからバスが出ていますが、日中は渋滞に巻き込まれるために、深夜か早朝の出発がおすすめです。

 

では、以下旅ブログ風の雑記を。。。

 

ということで、早朝6時過ぎのバスに乗って出発。

 

早朝5時半に、ホテルのロビーから配車アプリのGrabで車を捕まえたものの、マニラ市の朝は早くも渋滞気味。

せっかく買ったバスチケットが無駄になってしまう。。。

出発ターミナルへの到着は、一方通行のためぐるりと回ったりして、時間ギリギリに。

前夜、ホテルの前でうっかりゴキ(略)を踏みつけてしまった悲しみも忘れてしまいそうになるほど焦った。

 

そして、30分間にはターミナルに到着しておけとの、ネット上の注意書を見なかったかのように、10分前に客が乗り始めた列に並ぶ。

自分も乗ろうと、スマホにダウンロードしたレシートを見せると、紙で印刷していないと乗車券を発券してくれないとの回答、つまり乗車できないという事態。

 

焦る(汗)

 

私 (゚Д゚)ノ 『いやいやいや、ネットで買っていますよね!』

と窓口で押しに押して(ゴネて)、発車を遅らせてチケットをゲット

職員さん (-"-) (-_-;) 🚌

多分、『だから早く来いと言っただろう』と、いたかったことでしょう。

  

バスは当地の友人から、ファーストクラスにしておけとのアドバイスを忠実に守った結果、3列シートのゆったり高速バスで移動。

とはいえ5時間の移動はさすがに遠い。

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マニラからバギオに続く景色

早起きして短くなった分の睡眠時間を十二分に取り戻し、座席前のテレビで最新の実写版アラジンを全部見終わって、しばしぼんやりしたころにやっと山道に差し掛かる。

じつはバギオ市内近郊に、元米軍の空港があるものの、悪天候で離着陸できないことも多く、現内は商用利用されていないことを後に知る。

 

昼の12時ごろに到着してバスを降りると、エアコンが効いているかのような爽やかな空気。

涼しい。。。

とてもマニラ市と同じフィリピンにいるとは思えない冷涼な空気が流れる。

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バギオの松林

そして、ターミナルまで出迎えに来てくれていた何年かぶりに会う友人夫妻たちと合流。

早速、地元出身の旦那さんの案内で『まずは腹ごしらえを』ということで連れてきてもらったお店が、コチラ

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れっきとした韓国料理

(; ・`д・´)?

 

韓国料理、だと??

 

そう、バギオ初の食事は、韓国料理。

旦那さんの友人曰く、当店は25年前からある韓国料理店だから、もはや地元料理と呼んで構わないと笑、と。

『とはいえ何故に??』という、私の疑問はさておき食事は始まる。

そして、味はなかなかのもの。

参鶏湯、餃子、部隊チゲを存分にいただいて、まずは一息。

見渡すと韓国からの団体客もいらしていて、平日昼ながらご繁盛。

(韓国語を教えてくださった、H先生ありがとうございます。まだハングルのメニュー読めます!)

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昔からあるという韓国料理店

このような背景としては、ベトナム戦争当時に、バギオに米軍基地があったたため、参戦していた韓国人が多く定着しているとのこと。

そして今また、英語留学の拠点として韓国系の資本が進出中。

すべてのことには理由がある、と。

その後、数日間を通して街を見ていても、日本料理店や中華料理店よりも韓国料理店が多いことを確認。

 

続く、はず。

 

今回ご紹介したお店

Wood Nymph
36 Military Cutoff Rd, Baguio, Benguet, フィリピン

+63 74 442 8648

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